私たちのこと

塩狩ヒュッテのこと

宿主のふるさと和寒町にある塩狩峠。  「天塩の国」と「石狩の国」の国境であることから名付けられた「塩狩峠」という地名。この峠は天塩川水系と石狩川水系の分水嶺でもあります。

ここには三浦綾子さんの小説「塩狩峠」で綴られた物語があり、かつては「塩狩温泉」で賑わった時代もありました。
塩狩の過去の賑わいを知る宿主の「ここに再び明かりを灯したい」という想いから、この土地に宿を作る計画を始めました。

旅人をお迎えするために、宿主が設計から手掛け、北海道産のトドマツで丸太小屋をセルフビルドしました。
そして2013年6月に夢の塩狩ヒュッテが完成。

『ヒュッテ』はドイツ語で『山小屋』を意味します。
私たちが趣味の山登りをよくしていたころ、長い長い山道を歩き続け、ようやく見つけた山小屋の赤い屋根。
疲れた体でたどり着いた私たちを癒し温めてくれた山小屋の小さな灯。質素だけれど、なにより安心できる場所。
旅人にとってそんな山小屋のような存在でありたいと、屋根は赤色に、そして『塩狩ヒュッテ』と名付けました。
塩狩ヒュッテの灯が旅人たちに癒しと安心をもたらすことを願って…。

私たちのこと

合田康代 Yasuyo GODA

大阪府河内長野市出身。京都女子大学 英文学科卒業後、生命保険会社にて営業員として勤務。その後、ワーキングホリデーでカナダに渡り、ホテルなどで働きながら北米を旅する。そのころからユースホステルの経営を夢見る。2001年より大阪の輸入商社で貿易部門の責任者として活躍。2012年2月に和寒に移住。趣味は旅行とハイキング。子供が3人。
2020年に乳がん手術を経験。現在ホルモン治療中。

合田俊幸 Toshiyuki GODA

1975年4月22日和寒町(わっさむちょう)生まれ。名寄工業高等学校と日本工業大学で建築を専攻。初就職は1998年スウェーデン企業の東京オフィス(ネットワーク機器メーカー、国外との共通語が英語)。2002年カナダに渡りログハウスメーカで勤務(コンピュータエンジニア・セールスプロモーション)。2003年より大阪の商社(電気部品)で営業員として働き、2012年2月に和寒移住。塩狩ヒュッテを建築。現在は北都新聞社の記者としても活躍中。

2018年にパーキンソン病を発症。進行性の難病で現在も闘病中。(感染症ではないためうつることはありません)
病気の症状で動作が緩慢になったり、表情が硬くなったりします。温かい目で見守っていただけますと幸いです。

ユースホステルのこと

1909年、プロイセン(現在のドイツ・ポーランド)において、リヒャルトシルマンという教師が発案。当時、言葉や階級の差も支障になる中、徒歩旅行をしながら学ぶ事が効果的である事を発見。宿泊場所に学校を利用する事も発案されました。その後も様々な苦難を乗り越え、現在では世界的な宿泊ネットワークとなりました。日本国内では、年齢や会員未会員による制限はありません。

日本ユースホステル協会のホームページはこちら